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昔、戦を嫌って山へ入った人たちがいた。 時の天皇から、山の幸を自由に取ってよし、日本国中のどこの山に移住してもよしという許可をもらった人たち、「山の民」という。
掟 火付け強盗殺人は許さない。精神病者も平等に責任を科す。そして山の民の社会には、犯罪がない。
平和な彼らは自然を愛し自然の恵みをいただき、自然とともに暮らしている。かれらは恩を忘れない。事あるときは、日本中の山の民たちが皇居に駆けつける。
山の民のじいさまと片耳、そして彼らの里人の友人たちは、世の中の悪を許さない。
神の証明問題に取り組む観念小説。神秘思想やユング心理学・臨死体験等に興味のある方は楽しんで頂けるかと思います。直木賞作家の熊谷達也先生に添削して頂いた作品です。大沸次郎賞作家の佐伯一麦先生にも高い評価を頂きました。みなさん宜しくお願い致します。
命ということをよく考えて頂きたいのです。 人間は死ぬものだという考え方は、命をまじめに考えていない人間に共通する大欠陥です。 世間の人は皆死ぬのだから、自分も死んでもしかたがないという考え方は、赤信号皆で渡れば怖くないという考え方です。ところが、死んでしまいますと、皆で一緒という理屈は一切通用しないのです。全く永遠の孤独になるのです。
人が今生かされていることの中に、永遠不滅の真理があるのです。人がこの世に生まれてきた使命は何かと言いますと、それはだた一つ、人が生かされている本質を発見すること、それが永遠の生命であることを、全人類に教えてあげること、そうして、地球に、絶対平和を実現することです。
日本で考えている神というのは、人間が祭りあげた神なのです。人間が祭りあげたというのは、人間が造った神という意味なのです。ところが、聖書は逆に、人間を造った神を示しているのです。人間を造った神というのは、赤ん坊のベビースマイルの根源となる人格、即ちどこかから生まれてきたそのどこかの人格なのです。このことをよくお考えになると分かるのです。
人間の生き方が、知らず知らずのうちに、間違ってしまっているのです。人間が生活している状態、人生を営んでいる状態が、ライフ(life)です。ライフというべき命です。現在、人間は、命を経験しているのです。しかし、命とは何かと聞かれると、説明ができないのです。なぜそうなるかというと、命を正確に認識していないからです。
日本人の概念には、生活はありますが、生命はないのです。正確にいいますと、日本人は命を知らないのです。現世で生活をすることが、人間の目的だと考えている。これは、とんでもない間違いです。
人間社会の常識で考える善と、本当の善とは違うのです。日本人が考えている善は、この世で生きている人間の善です。奥さんの場合、もうご主人が亡くなっていらっしゃるのですから、この世に生きている善だけでは、ご主人に通じることはできません。本当の善とは、過去、現在、未来の三つの世代に通用するものでなければならないのです。これが、根本的な善です。
現世に生きている人間は、死ぬにきまっている命をつかまされているのです。だから、自分自身の生き方について、自信がないのです。百人が百人共、千人が千人共そうなのです。自信があるような気がしても、現世に生きている間の自信であって、永遠のいのちという、人間の本質に関する自信はありません。死んでからどうなるか、さっぱり分からないのです。
般若心経で言う色蘊というのは、目に見えるものが存在しているという考え方なのです。儒教でいう仁義という考え方、道徳とか親子の関係とかいう問題が、全部五経に基づいて成立しているのです。
目に見えるものがあると考えるから、道徳とか法律が考えられるのです。一体目に見えるものがあるかないかということが、大きな問題なのです。般若心経はないと言っているのです。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色ということは、目に見える通りのものがあるのではない。目に見えないものが、見えるようになっているというのです。
般若心経によって空を信じても、私達が生きているという事実があります。この生きているといぅ事実が神であるとしますと、空を悟った上に、神の実体をつかまえて、命を明白に捉える必要があるのです。
文明の中から、死を追い出してしまうのです。死なない命をしっかり持つという勇気を持って、もう一度人生を見直すために、宗教ではない般若心経と聖書を勉強する必要があるのです。
今、人間が生きている命は、死ぬにきまっている命なのです。死ぬにきまっている命を、自分の命だと思っていることが、間違っているのです。それを、五蘊皆空という言い方で、教えているのです。
今の人間が生きている命は、カルマとしてこの世に出てきた命であって、カルマとしての命は、本当の命ではないのです。だから、今生きている命は、間違っているのです。これは、人間としてこの世に出た以上、やむをえない運命なのです。死ぬにきまっていることが分っていながら、その命を捨てようとしないことが、悪いのです。
捨てるというのは、何も首をつることではない。自殺することではない。命に対する見方をかえることなのです。
自分がいるというのは、嘘です。この嘘は、人の精根にしみこんでいるのです。脊髄神経の中に巣くっている。脳髄から、延髄、脊髄に、自分がいるという思いが巣をつくっているのです。これを退治するのです。
自分という人間は、生れたいと思ったことがない。自分があることが、とんでもない不幸の原因になっているのです。この自分を、なぜ、そんなにかわいがるのかということです。自己弁護、自己弁解、自分をかわいがるのが、偶像崇拝になるのです。これが分りますと、生の問題、死の問題が解決するのです。
人間は現在、進化の途上にあるのです。地球も進化の途上にあるのです。人間全体、地球全体を、進化させなければならない責任は、人間にあるのです。これは、イエスという人の生き方を学べば、分かるのです。
人間が死ななくなってから、今年で、2007年になるのです。ところが人間は、イエスが死を破ったことが、どうしても分からない。2007年とは何かといいますと、人間が死ななくなってからの年号です。これが分かればいいのです。
普通宗教的に扱いますと、般若心経なら般若心経、聖書なら聖書と、どちらも一本立ちができるテーマですが、般若心経と聖書の両方を、取り上げるという考え方は、今までの日本にはなかったことです。
般若心経は、もちろん仏教の経典として扱われています。ところが、般若心経は仏教だけではなく、宗派神道の勉強をしている人も、随分用いていらっしゃるようです。婦人会とか、青年団などの修養団体、又は社会教育団体の集りでも、随分用いられています。
世界中が激動の時代に突入していった1960年代…。僕達はビートルズと出会った。そして何かが少しづつ変わっていった。そんな時代背景の下、大阪近郊の、とある町で起こった様々な出来事は、時を経た現代社会でも起こり得る話だと思っています。なぜなら、この物語の主人公達が問いかけているものは、人間とは何?幸せとは何?家族とは何?と言う人間の根幹にかかわる問題だからです。
この物語を読み終えた時、あなたの心に何かひとつでも共感出来るもの、引っ掛かってくれるものが残っていれば幸いです。
「あなたを愛しています。モノではなく、目には見えない愛情を、あなただけに捧げます」バレンタインデーに、女子大生から渡された箱のなかには、こんなメモが入っていた。建設会社に勤務する「生け花」が趣味の若き土木技術者が味わった切ない恋の物語。想う女性には想われず、想わぬ女性から告白される。
恋愛とは、なんて難しいものだろう…。
母を亡くし伯父達に育てられるが、伯父達にも新しく子供が生まれ次第に少女がじゃまになり始める.
ただ一人彼女を可愛がってくれた祖母も原爆症でなくして
ひたすら生きる戦災孤児少女。
新約聖書に、万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するといっています(ロ
―マ人への手紙11・36)。
心臓が動いています。目が見えます。これが神なのです。人間は、毎日、神を経験しているのです。目が見えること、耳が聞こえること、心臓が動いていること、脳波が働いていることが、神なのです。神の実物を、人は、現在、経験しているのです。神の実物が命なのです。
新約聖書に次のような譬話があります。「天国は畑に隠してある宝のようである。それを探した人は、全財産を売って、それを買うであろう」
人生は宝探しです。ある人は恋人という宝を探すでしょう。またある人は社長という宝を探し、ある人は国会議員、総理大臣、大統領という宝をさがすでしょう。そういう宝ものは、死ぬと同時になくなってしまうものです。
本当の宝とは何であるか。それは死んでも無くならないもの、永遠に続くもので、それが地球に隠されているのです。その掘り出しかたの前半分を釈尊が発見し、後半分をイエス・キリストが発見しました。私たちもこの両者の教えに忠実に従えば、世界でたった一つの宝物、すなわち永遠の生命の実物を手にすることができるのです。
人間のカルマ、即ち業(ごう)について、はっきり説明ができる宗教家は、いないでしょう。仏教大学の先生でも、カルマがなぜあるかが、説明できないでしょう。
カルマを説明するためには、天地が何のために造られたか、地球が何のために存在するかを、説明しなければならないことになるのです。
地球ができたことが、地球のカルマです。万物があることが、万物のカルマです。地球のカルマを解決することが、人間のカルマです。これは大きすぎて分からないかましれませんが、天地万物があるのは、その理由があるのです。この説明は宗教家ではできないのです。
生まれる前に、人の命があったのです。現在私たちはこの世に生まれてきましたが、これは結果なのです。生まれてきたという結果が発生するためには、原因がなければならないのです。
生まれた時、人はほぼ完全だったのです。生理的にも、心理的にも、ほぼ完全だったのです。心理的に言いますと、現世における知識、常識はありませんが、人間の霊魂の本能性は、十分に持っているのです。
それが現世に生まれたことによって、後天性の人間社会の因縁によって、生まれる前の本性が消し去られてしまったのです。親の教育、近所の人々、学校の先生、職場の先輩等によって、生まれる前の霊魂のあり方が、むちゃくちゃにされてしまった。これが現在の日本の社会構造なのです。
1980年代前半に大学進学でたんぽぽ荘にやって来た”僕”。
複雑な人間関係の漫研と、各地から集まってきた寮生にもまれながら、次第に大志を失って・・・
無性に楽しかった80年代の学生事情と挫折の書。
ユダヤ人が悔い改めれば、地球上からあらゆる犯罪、戦争、自然災害、一切の病気が消滅する。こんな事を聞かれても、まったくの夢物語、荒唐無稽の空想の世界のこととしか思えないでしょう。絶対にありえない話だと、思えるでしょう。
ところが、人類は永い間、犯罪のない世界、戦争のない世界、自然災害、病気のない世界の実現を、願ってきました。6000年の間、願って、願って、止まなかったのです。これは、人類の本心に秘められた悲願でした。これは神が人間の心の奥底に密かに埋め込んでおいた時限爆弾みたいなもので、必ず実現する時がくるのです。これが聖書に書かれている千年王国です。
すべての人は、犯罪のない世界、戦争のない世界、自然災害、病気のない世界の実現を、願ってきました。
夜、隣の寝床で、ごろごろしている息子に問いかける。
「この間、かおりちゃん達来た?」
「うん、ボクね、いとこが来ると楽しいんだけど、帰ると寂しいんだ。帰ってすぐじゃなくて、二日くらいたつと・・・
399P
次代を担うべき若者たちが未来を奪われ、暗い海に漂流するような現代日本の本質に迫り、未来を切り開く力を探る。 四半世紀もの長い間、多国籍企業による労働組合攻撃、人権侵害とたたかってきた筆者による渾身の長編。
【HP掲載の書評より】…長編小説『漂流者』を読ませていただきました。読み終えて本を閉じたとき、なぜかその昔読んだ物語性ゆたかな長編、たとえば五木寛之の『青春の門』などを思い出しました。読者を一気に引き込んでしまう力をもっているこの作品が、そのように感じさせたのかもしれません。私たちの身近な文学創造運動のなかで、このような力作長編が生まれたことを嬉しく思います。
…作品世界を自らの労働争議の歴史に重ね合わせて無性の感慨を禁じえないというだけにとどまらない、働き・たたかうことへの確信と、もがき苦しむ主人公が未来への希望を必ずつかみ取るであろうという確信を自らのものにできるという点で、私がこれまでに読んだ「労働者のたたかいを描いた小説」群のなかでも類い希な作品です。
江戸時代末期の江戸前(東京湾)近海を漁場とした漁師の物語で、フィクション時代小説である。
その家に代々引き継がれてきた「ひとり漁」を受継ぐ若き漁師が、父から教えを受ける様々な漁法。はたしてその全てを自分のものにすることが出来るのだろうか…。
そのために大変な努力が必要なことはは言うまでもない。
ある日の漁でこと、川面から立上る水柱を…「あ、あれはなんだ…」
…白紅色に輝く大きい魚影が網助の船の廻りをひとまわりした…。
「…数年に一度、この江戸前にそれはきっとやってくる…」
仁助は子供の頃、漁の師匠でもある親父(おやじ)たちがそう話しているのを聞いたことを忘れていたが…。
「それは江戸前の漁師の守り神」とも言われているらしい。遠い昔の想い出は、深く心のどこかに大切にしまわれていた。
208P
昔、戦を嫌って山へ入った人たちがいた。時の天皇から、山の幸を自由に取ってよし、日本国中のどこの山に移住してもよしという許可をもらった人たち、「山の民」という。
掟 火付け強盗殺人は許さない。精神病者も平等に責任を科す。そして山の民の社会には、犯罪がない。平和な彼らは自然を愛し自然の恵みをいただき、自然とともに暮らしている。かれらは恩を忘れない。事あるときは、日本中の山の民たちが皇居に駆けつける。
山の民のじいさまと片耳、そして彼らの里人の友人たちは、世の中の悪を許さない。
世界中が激動の時代に突入していった1960年代…。僕達はビートルズと出会った。そして何かが少しづつ変わっていった。そんな時代背景の下、大阪近郊の、とある町で起こった様々な出来事は、時を経た現代社会でも起こり得る話だと思っています。なぜなら、この物語の主人公達が問いかけているものは、人間とは何?幸せとは何?家族とは何?と言う人間の根幹にかかわる問題だからです。この物語を読み終えた時、あなたの心に何かひとつでも共感出来るもの、引っ掛かってくれるものが残っていれば幸いです。
赤心の詩第1部(1章~3章)の続編です。舞台を大阪から博多に移して流浪の旅を続ける主人公が1970年代という激動の時代背景の下でロック・ミュージックを通じて出逢う数多くの人々との間で繰り広げる波乱万丈の人間模様を描いています。この第2部は1章~3章を読み終えてからご覧になってください。
世界中が激動の時代に突入していった1960年代…。僕達はビートルズと出会った。そして何かが少しづつ変わっていった。そんな時代背景の下、大阪近郊の、とある町で起こった様々な出来事は、時を経た現代社会でも起こり得る話だと思っています。なぜなら、この物語の主人公達が問いかけているものは、人間とは何?幸せとは何?家族とは何?と言う人間の根幹にかかわる問題だからです。この物語を読み終えた時、あなたの心に何かひとつでも共感出来るもの、引っ掛かってくれるものが残っていれば幸いです。
世界中が激動の時代に突入していった1960年代…。僕達はビートルズと出会った。そして何かが少しづつ変わっていった。そんな時代背景の下、大阪近郊の、とある町で起こった様々な出来事は、時を経た現代社会でも起こり得る話だと思っています。なぜなら、この物語の主人公達が問いかけているものは、人間とは何?幸せとは何?家族とは何?と言う人間の根幹にかかわる問題だからです。この物語を読み終えた時、あなたの心に何かひとつでも共感出来るもの、引っ掛かってくれるものが残っていれば幸いです。
赤心の詩第1部(1章~3章)の続編です。舞台を大阪から博多に移して流浪の旅を続ける主人公が1970年代という激動の時代背景の下でロック・ミュージックを通じて出逢う数多くの人々との間で繰り広げる波乱万丈の人間模様を描いています。この第2部は1章~3章を読み終えてからご覧になってください。
心を込めて書いた10作の短編集です。
「さくら」
「亜希子」
「かくれんぼ」
「霧吹き」
「ポテトサラダ」
「最後のメール」
「夏が走り出す」
「失恋ピエロ」
「運命の赤い糸」
「生きて」
どの作品も愛が詰っていますので、お腹いっぱい愛を食べたいときに是非読んで下さい。
人生の大きな転機を迎えることになった8年前の日記です。人生の真実を追い求めて書いているうちに、二転三転し、思ってもみない結果へと導かれたという話です。1年前に編集したのですが、結局何もせずに置きっぱなし。先に進む前の身辺整理として投稿させていただきます~。
自分の真実・愛とは何かを知るために、3年前にハワイで旅をしてみました。そこで生まれて初めて、夢というものを持ちました。これは1作目の“「私」への扉”の続きで、自分の本当のパートナー・仕事を求めて旅をしてきた3年間の軌跡です。(その旅に出かける前に自分を知るための物語を書いていました。よろしければそれは飛ばして読んでください。)
森鴎外作の名著「山椒大夫」には今まで知られていない秘密が隠されていた。その謎に気づいた主人公と彼の周りに起こる悲劇。早熟な体験と登場人物達が背負う様々な十字架が「山椒大夫」にも重なる。人生の不条理と人に棲む黒き怪物は何かという事を読者に問いかける。
人気バンドのギタリスト、潤一。仕事も恋愛も不思議なくらい順調に進んでいた。そんなある日、彼の前に女子高生・凛が現れる。それは天使でもあり、潤一の全てを変えてしまい兼ねない『春の嵐』だったー。
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